centi’s

いろんなこと 思ったこと

嫌いだったもの、嫌いなもの

 

 

 

 

 

昔から、『音楽』と言うものが嫌いだった。

 

ただの言葉の羅列と、ただの音を組み合わせた幻想の集合体。

 

「歌詞」と呼ばれるものはただの綺麗事を並べたもの、正直気持ち悪さしかなかった。

 

そんな綺麗事で生きて行けるならさぞかし幸せだろうね、お気楽だね、とも思った。

そこら辺は多分私の周りの環境もあって捻くれてしまったんだろうなと今は思える。

 

そして、心にもないソレを使って人気になろうとする人らも気持ち悪かった。

 

とりあえずその時は本当に苦しくて、辛くて、死にたくて、綺麗事なんかクソ喰らえなんて思った。いや、多分「あの日」がなければとっくに死んでいただろうし、死んでなくとも「今」はなかった。

 

 

そんな「あの日」は突然やってきた。

 

その時はなんの番組かは忘れたけれど、その番組を見るためにチャンネルを回していた。

 

それでたまたま、偶然。音楽番組に当たってしまった。

その時は間奏に入る直前で、なんだこいつらはって思った。

 

赤、黄、その他諸々がそれぞれ単色のつなぎを着て、帽子みたいなのもかぶって。

 

お遊戯会とか仮装大会なのか、最近の音楽番組は。なんて思って思わず笑ってしまった。

その笑いのお陰で、一瞬だけどチャンネルを変えずに済んだんだろうけど。

 

そんな時、1人ずつ数人のドアップになった。

 

 “ もう逃げるだけの日々脱して ” 

 

ああ、やっぱりこいつらもか。

確かそんなことを思った。何故かこの人たちなら違うと一瞬だけ思ったから。

 

そしてチャンネルを変えようとした時、赤い人がアップになった。そして、ボタンをリモコンの押す前に彼の口が開いた。

 

 “ 奮い立っては 挑んでいって

ㅤこっぴどく身の程を知って
ㅤ今わかった この手にだって

ㅤきっと守れるものがあるって ” 

 

歯が震えて、心臓がバクバクして、目が動かせなくて。彼のパートが終わると同時にすぐにチャンネルを変えた。

嫌いな音楽で、嫌いな綺麗事を並べた歌詞で、嫌いなものだらけの一瞬で、心臓が痛くなった事に怖くなった。だから、こんな怖い事は忘れよう、と調べる事はしなかった。

 

それでしばらく、多分3年くらい経ったかな。

月曜から夜ふかしを見てた時、村上くんの名前のところに『関ジャニ∞』と書いてあるのを知って。

 

なにか少し気になって調べてみたら見覚えのある “ 目 ” があって。その時、初めて赤い彼が “ 渋谷すばる ” と言うのだと知った。

 

 

それからは自問自答の繰り返し。

 

あんなにも嫌っていた “歌手 ”を応援するのか。

それは一時の迷いと言うものなのではないか。

そもそも、“ 音楽 ”が嫌いなのにどうするんだ。

 

 

それでも彼の声を聞くたびに。

いや、本当は『あの日』から私の心臓には彼の声が、太い根となってへばりついていたのかもしれない。

 

 

 

 

気づけば、彼の歌声を通して少しずつ “ 音楽 ” と言うものが好きになっていった。

 

すばるくんの歌声は “ 音楽 ” を知らなかった私の心臓を、頭を、体を、私の全てに根付いて。

 

それからは幻想でもいいから楽しんでみよう、なんて思ったりして、それでもたまに苦しんで、その度に彼の声に救われて。

 

 

 

 

 

 

そんな彼が、2018年4月15日午前11時。

関ジャニ∞を脱退、ジャニーズを退所すると発表した。

 

 

フライデーに取り上げられているのを見て、正直、本当なのかもしれないと思った。理由は100%違うだろうけど、彼なら音楽を学びたいから、なんて言いそうだって。

 

それでもTwitterの皆はこんなの嘘だ、フライデーが売り上げを伸ばしたいだけだ、二宮和也伊藤綾子の火消しだ。なんて言うものだから言い出せなくて、気付けば私自身に

 

『皆が言っているからこれは嘘』

 

なんて言葉で私自身に言い聞かせて。

 

 

 

 

それで、結果は事実だった。

想像通り理由は違うくて、音楽を学びたかったから、と。彼の真っ直ぐな涙目、ピンと伸びた背筋、メンバーの様子で、それは渋谷すばると言う人間が決めた事だと理解した。

 

最初は泣いた。11時ちょうどの文章を見て泣いて、会見の映像を見て泣いて、Twitterの様子で3度泣いた。それでもそれ以降は涙目になっても泣くことは出来なかった。

 

次にどうして今なのだ、ジュニアの頃にアメリカに行けていれば今行かなくて済んだのか。言ってはいけないけれど、他のグループの誰かが変わりにやめればよかったのに、なんてどうしようもない事を思った。

 

それから無気力になった。私を作る全ての物には彼の歌声が根付いていて、それがなくなってしまうのか、いずれは彼の声を忘れてしまうのか、とも思った。

 

でも、その間にも1人の友人は突然の電話で死にたいと私に伝え。また別の友人は、今現在生きているのか死んでいるのかわからない、心がえぐり取られたみたいだと泣き。

私は何も出来ないから、無力だから。彼女たちを立ち直らせるお手伝いしかできないから、必死に支えた。

 

 

そして、恨んだ。

私をこの世界に引きずり込んだ “ 音楽 ” 。

 “ あの日 ” 私に彼を見せた “ 偶然 ” 。

そして、すばるくんを。

 

 

 

私は渋谷すばると音楽が嫌いだ。

 

離れられない程に心臓に根付いたくせに、音楽を連れて1人、何処か遠くへ行ってしまう彼が。

メンバー6人を残して行く彼が。

感謝の気持ちを伝える術のない彼が。

私たちに消えない深い傷を残した彼が。

 

 

彼を連れて去った音楽が、何よりも嫌いだ。

音楽の所為で彼は旅立ち、もしかすると2度と帰ってこないのかもしれない。

 

ソロデビューしなければ、metrockに出なければ、バンドなんなしなければ、あの時無理にでも留学させてもらえれば、彼はまだここにいたのだろうか。

関ジャニ∞の一員として、皆の中心で下ネタをぶっ放して、それでも愛されて、関ジャニ∞ととして生涯を終えたのだろうか。

私のお気に入りのゲームは並行世界があることが前提のストーリーで、もしかしたら私たちの世界にも並行世界はあって、その世界では彼はまだメンバーの一員だったのか、それとも。

 

そんな、考えても無駄な仮説を永遠に立て始める私の脳内が気持ち悪くなった。

 

 

せっかく彼のお陰で音楽を好きになれたのに、綺麗事でも幻想でもいいからもう少しだけ生きてみようと思えたのに、その好きにさせてくれた当の本人にまた嫌いにさせられた。

 

この先好きになれるかはわからないけれど、多分傷だらけになって、ボロボロになっても彼を見送って、彼らを応援するんだろう。

 

 

音楽のお陰で私は生きる希望ができて

音楽の所為で私はまた絶望に陥った。

 

 

そんな、悲しい私のお話。